旧守山宿の散策
いつもは車で素通りの道を、江戸幕府が整備した中山道と意識しながら歩いてみると、いつもの風景が優しく見えました
そんな中山道、旧守山宿の散策にお付き合いください
『守山』の地名のいわれには地形からくる説や、琵琶湖対岸の比叡山延暦寺の東の関門として比叡山東門院守山寺が創建され、比叡山を守るという説もあります
東門院は江戸時代に朝鮮通信使の宿泊所で、当時の高札も残され、全国でも数少ない当時の実物に出会うことができ、室町時代に建立された門出仁王像が立っています
中山道は江戸日本橋から京三条を結ぶ街道で、守山宿は江戸から数えると67番目の宿場です
江戸へ向かう東下りの場合は『京立ち守山泊まり』と言われ、多くの旅籠が軒を連ね、隣接して今宿・吉身が加宿され大繁盛しました
守山宿の街道筋は今も古い家がちらほら見ることができます
街道に面して幕末の建物と思われる山本邸が現存し繊細な当時の街並みが残っています
街道には距離の目安となる一里塚が建てられ、その大木の木陰が旅人の休息や馬子の駄賃の基準に利用されました
今宿の一里塚のみが県内に現存し往時を偲ばせてくれます
現在の榎の木は二代目です
守山宿でもう一つ紹介したいのは源内塚です
後に鎌倉幕府を開く源頼朝が平治の乱に敗れ敗走する途中、父義朝一行からはぐれ、やっとのことでただ一騎、この守山宿に辿りつきます
それを地元の源内兵衛真弘が見つけ切りかかりますが、13歳とはいえ腕の立つ頼朝に名刀「鬚切り」で返り討ちに合います
それを憐れんで村人が首塚を造りました
今も参拝する人々は、石仏の前に置かれた丸石を願い事の後に持ち上げ「伺い石」として親しまれています
右手にデジカメ、左手に歴史ガイドを持ちゆっくりとした時間を過ごしました
皆様も、お住まいの一角に目を向けて下さい、歴史の入り口があるかもしれませんよ
Written by 栗東店